スイミングストリート

 
−第84回−
『10年間の思い』
 今から10年前、1999年の夏に当時1歳の誕生日を迎えたばかりの長女を抱っこして主人の引率する遠征についていった。あれは確か長野で開かれた全国中学選抜水泳選手権だったと思う。わたしが選手を退いてから3年がたち、回りを見渡してわかるのはプールサイドにいるコーチ陣の顔ばかり。選手たちの顔は誰もわからなかった。久し振りに見る中学生の大会を見て「自分にもあんな小さい頃があったよなぁ、忘れちゃったなぁ」なんて懐かしく思っていた。
 
  試合の合間の練習時間になり、選手らが大勢現われて練習をし始めた。そのとき、わたしの眼は一人の少女に釘づけになっていた。スラリとした身体、板をぐっと踏み込む動きの上手さ・・・。入水は少々雑だったが男子顔負けの豪快なジャンプは見ていて気持ちがいいくらい。明らかに彼女の存在はほかの選手を圧倒していてわたしは惚れ惚れしながら見ていた。試合が始まるとプログラムを見て彼女の名前を確認した。
 
  結局彼女は優勝できなかったが、わたしは彼女の素晴らしい板踏みの才能を目の当たりにして興奮していた。「あの子、いい! すごくいい! 今日は負けちゃったけどあの子はいい! あの子はきっと日本女子飛板界のチャンピオンになると思う!」と主人に言った。実際は心の中で「彼女はきっと日本女子の飛板界をひっぱっていくに違いない!」という信念にも似た思いが芽生えたからだと思う。
 
  わたしは自分の選手生活の最後の4年間は高飛込をやめて飛板に専念した。そして選手を退いたあと一番気になっていたのは、女子3M飛板のタイトルを誰が獲り、誰が日本女子飛板界を引っ張るのかということだった。
 
  わたしの心に残ったその少女について何も知らなかったが、彼女はもともと東京の人間でお父さんの仕事の関係で家族と一緒に一時期金沢で過ごし、そのときに飛込みを習い始めたのだそうだ。そして高校生になると家族とともに東京へ戻ってきて、驚いたことにうちの主人が指導することになったのだった。
  だが現実は厳しく、彼女は周囲に期待されながらなかなか結果を出せず辛抱の年がしばらく続いた。この競技は個人種目ならではの孤独感がある。それに苦しみ、自信をなくし、自分がどこに目標を置くべきかに悩み、気持ちがどん底に落ちる・・・ということも度々あったようで彼女を苦しめた。相当悩んでいたようだが、これは自分で乗り越えねばならないことだから、とあえて見守るだけのこともあった。
  またたく間に日が過ぎて学生生活が終わり社会人となった。それまで何度となく日本一になるチャンスがあったのに、ここぞというときにいつもの演技が出せずチャンスは彼女の手の中から逃げて行った。いや、正確にいうとチャンスを自ら手放してしまっていたように思う。

  そしてこの4月3〜5日、2009年の日本選手権を迎えた。辰巳国際水泳場で開かれたこの大会は、世界水泳とユニバーシアード大会、ワールドグランプリ大会などの代表選考も兼ねた試合だった。そして初日の女子3m飛板飛込決勝で、それまでの本人の努力と周りの大勢の応援の力が大きく彼女の背中を押しして、見事に3m飛板飛込初優勝という夢を叶えたのだった。

  わたしは競技役員だったので、その試合は最後の1本しか見られなかったが、その1本を見るためにプールサイドに走った。もう彼女の演技を見る前から涙腺がゆるんでしまっていた。そして優勝が決まったとき、ボロボロと涙が出てきて自分でも驚いた。人の試合なのにこんなに嬉しいとは・・・。

  思わず彼女に駆け寄り、ギュッと抱きしめ背中をぽんぽんとたたいた。どんな言葉をかけていいのか頭の中がぐちゃぐちゃだったのだが、口から出たのはこんな言葉だった。

「ねっ、言ったでしょ! あなたしかいないって。ねっ、ねっ!!」

  そう、この日をずっと待っていた。支えてきたご家族に負けないくらいに。この10年間の思いがあふれてきた。ずっと待っていたかいがあったよ。こんなにうれしい気持ちにしてくれてありがとう・・・。

  日本一を目指してがむしゃらに突き進んでいた時と日本一になったあとでは、見える景色が全く違う。置かれる環境も一夜にして変わる。これは何も自分の経験を自慢しているのではないが、頂点に立つ者にしか見えない景色があるのだ。それまでとは違う感情が心に湧き、「追う者」から「追われる者」になることで大きなプレッシャーもでてくるのだ。

  これからはそういう「目に見えない敵」と戦っていかねばならない。しかし、きっと跳ね飛ばしていけると自分を信じてほしい。すべて自分の力になると信じてほしいと心から思う。なぜなら、あなたはすでに「夢を叶える方法」がわかっているはずだから・・・。今までやってきたことがその答え。そう、あなたにしかできない夢を叶える方法がある・・・。

  ひとつの夢が叶うと次の夢がまたできる。わたしの近い将来の夢は3年後にある。考えただけでもわくわくするその夢は・・・叶う予感がしてならない。


−Profile−

金戸幸(かねとゆき) 旧姓:元渕

1968年12月23日、東京生まれ。
3歳よりバレエを始め、天理に越したのをきっかけに、9歳より飛び込みを始める。


主な成績


1995年 US国際大会で1M優勝。
ソウル・バルセロナ・アトランタ五輪に出場。
アトランタ五輪では、3M飛板飛込で6位入賞。
選手を退いたあと、翌年(1997年)結婚。
現在、1男2女の母。

金戸幸さんにお便りを出そう!